自筆書状 三月六日 左少弁殿宛
(じひつしょじょう さしょうべんどのあて)
重要文化財 藤原俊成 ふじわらとしなり 自筆書状 三月六日 左少弁殿宛 じひつしょじょう さしょうべんどのあて 掛幅装 一幅 平安時代 あしたづの文 |
文治元年(1185)暮、若き藤原定家は、宮中で少将源雅行と諍いを起こして殿上人を除籍され、翌春になっても許されなかった。定家の父、俊成(釈阿は法名)は、その心境を、子を思って鳴く夜鶴に準えて「葦田鶴の雲路迷ひし年暮れて 霞をさえや隔て果つべき」と詠み、恩赦の執奏を左少弁(藤原定長、寂蓮)に嘆願した。俊成の歌を知った後鳥羽天皇は「葦田鶴は雲居を指して帰るなり 今日大空の晴るる景色に」と返歌し、定家への処分を解いた。 |
---|