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法語 与道刃禅尼(ほうご どうにんぜんににあたう)

宗峰妙超(大燈国師)
しゅうほうみょうちょう
(だいとうこくし)
法語 与道刃禅尼
ほうご どうにんぜんににあたう
掛幅装 一幅
南北朝時代
 大燈国師、宗峰妙超(1282-1337)は、播磨の生まれ。南宋より帰国した南浦紹明に参問を重ね、大悟してその法を嗣ぐ。花園・後醍醐両帝の帰依を受け、大徳寺を開山。自己の悟境を深く掘り下げる事を重視し、容赦ない厳しさは「凛然たる威気近傍しがたし」といわれた。その雄勤な遺墨は、機鋒鋭い禅風を伝えるものとして古来評価が高い。

 年号の建武丁丑は4年(1337)で、大燈国師の没年にあたる。この年12月22日に示寂しているので、その四ヶ月以前において、道刃禅尼なる参禅の人に与えた法語である。禅尼は永い間趙州和尚の「無」の公案に取組んでいた。一日、答を下して「万里一条の鉄」と言ったので、大燈すかさず「何故万里一条の鉄か」と反問すると、二三返答したが本物じゃない。そこで禅尼の方から紙を出して、どうかお慈悲を以て分るようにお導きして欲しいとせがむから、この語を書いてやるのだという。趙州の先生であった南泉和尚の言葉を引用し、超州が悟りを開いた当初はこうだったのだと無の本の話を説き、お前が永年考えている点とこの話とを比較計量すれば、そこに何とか問題を打開する道が開けよう、と細かく駐解の言葉を以て諭示している。全篇23行にわたる大幅で、奈良の茶人松屋に伝来し、表具もこれに叶った立派さである。

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